最終更新日 2024年2月8日 by barrya
東日本大震災から10年余りが経ち、ほとんどの地域では復興が進んでおり従来に比べ津波や地震に対して安全性の高い環境になったと言われることが多くなっています。
また新たな近代的なテクノロジーを積極的に導入し、従来に比べ生活がしやすくなったと言う地域も少なくありません。
しかし、その復興によって徐々にあの震災の本当の恐ろしさが多くの人の心から薄れてしまう事は決して避けなければならず、また本当の意味での教訓を常に意識して日常生活を送ることが大切なこととなっています。
アトックスが考える東日本大震災が非常に大きな被害をもたらした要因
東日本大震災が非常に大きな被害をもたらした要因は、複数の現象が連鎖して発生したことにあり、これによって人間の意識の弱さが露呈した形となりました。
非常に大きな揺れによって様々な建物が崩壊し、また埋立地などでは液状化が発生したことで、まずこれまで人間が作り上げてきた様々な文明が自然の力の前ではいとも簡単にくずされてしまうことを思いしたのです。
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しかし震災の被害はこれだけでは収まらず、その後に発生した津波が様々な被害を生み出すことになります。
1つは、津波の恐ろしさを多くの人が理解していなかったと言うことです。
過去にある地域では幾度と無く津波が発生し、そのために昔の人が危険な地域を子孫に示すためにその記録を残していた地域があると言う話を知りました。
「これより下には家を建てるな」といった内容のものであったと記憶していますが、にもかかわらず実際にはそのメッセージは無視され、海岸に様々な住宅や施設が次々と建設されていたのです。
今回の津波ではその地域のほとんどが壊滅的な被害を受け、昔の人のメッセージが正しかったことが証明された形となりましたが、このようなメッセージを子孫にもしっかりと残しておき、その危険性を伝えていくことが非常に重要なことであると考えられます。
東日本大震災が与えた教訓
さらに東日本大震災が与えた教訓は、世の中には消して安全が確実であると言う事はないと言うことです。
津波によって福島第一原子力発電所の電源検討が損傷し、これによって原子炉が溶解して多くの放射能が放出されてしまった事は、長期にわたって様々な影響を広範囲に残すことになりました。
単純に直接的な放射能の被害にとどまらず、これによって発生した様々な風評被害は被災者に新たな苦しみをもたらすことになります。
実際には問題がないのにその地域で栽培した農作物と言うだけで危険なものとされたり、もしくはその地域の沿岸でとれた魚介類は放射能に汚染されていると言った風評被害です。
特にある国ではそれまでは積極的に輸入をしていたのに、単純にそのイメージだけで危険なものと決めつけ国を挙げて輸入を禁止している状況が現在でも続いている事は、物事の本質やその被害に苦しむ人に対して思いやりがない行動としか考えられません。
このような人間の本質を浮き彫りにしたことも、東日本大震災が与えた重要な教訓であると考えられる面もあるのです。
日本の現代の家屋のほとんどが木造建築である
日本は古来から地震が多いことで知られており、そのたびに様々な大きな被害を被ってきた中で、それらの教訓をもとに新たな対策を次々と打ち出してきました。
日本の現代の家屋のほとんどが木造建築であることも、これらの地震が生み出した教訓であると捉えられる面もあります。
特に古い建築物の場合には木の柔軟性を生かすためにあえて釘などを使用せず、ほぞ組みなどといった独自の方法を編み出しました。
これを生み出すためには熟練した職人の高度な技術が必要となりますが、日本の地震の多い環境に適応するために先人が生み出した高度な技術であり、現在でも多くの場面で使用されています。
しかしこの教訓は時代とともに忘れられていくものであることが多く、例えば太平洋戦争末期に日本が被った様々な被害や、その後から復興した場合のいろいろな苦しみなどは現在では忘れられてしまっていることが少なくありません。
そのため、あの戦争が終わってから70年以上が経過した現在では、それぞれの国同士の争いが水面下で激化していると言った雰囲気が見え隠れする部分もあり、その教訓や平和に対する認識が薄れてしまっているのではないかと懸念する部分もあるのです。
まとめ
東日本大震災は、戦争の苦しい記憶が忘れられかけている現代の日本に、新たな平和に対する意識と様々な教訓を与えたものと解釈することが重要です。
その中には、原子力の取り扱いについてこれまで全てがうまくいっていたことにより慢心しきっていた部分を覆すと言う意味もありました。
これらの多くの教訓をしっかりと認識した上で、様々な物事を今後は進めていくことが大切です。
現在では東日本大震災は大きな地震によって発生した津波が甚大な被害をもたらしたと考える人も多いのですが、決してそうではなく、被害が甚大になった理由は様々な経験を過去に持っていたにもかかわらず、これを十分に生かせずに時間とともに忘れてしまっていた、日本人の平和に対する慢心が導いたものであると考えられる面もあるのです。